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オオサキ

「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」著:内山節 2007/11/20

―1965年頃を境にして、日本の社会からキツネにだまされたという話が発生しなくなってしまうのである。―という問いから「歴史哲学」とは何かを考える内容となっている。制度史としての歴史は「中央の歴史」として、過去を乗り越える「直線的な歴史」として描かれてきた。しかし。この視点は発展を伴わない「見えない歴史」が切る捨てられてきた。知識を思考の軸を据えてきた私たちの歴史は、発展に向かって歩んでいる。しかし、充足感が満たされないのはなぜかを説いていく。


―すべてのものを自分の村のなかでつくりかえながら生きていく。そういう生き方をしていた人々にとっては、知性の継続、身体性の継続、生命性の継続が必要であった。・・・日本では、伝統的には、自然を人間の外に展開する客観的なものととらえる発想がなかった。その理由は、村の自然としてつくり変えたものが自然だったからである。・・・自然の歴史と人間の歴史は一体なのである。―
―1965年頃を境にして、身体性や生命性とむずびついてとらえてきた歴史が衰弱した。その結果、知性によってとらえられていた歴史だけが肥大化した。広大な歴史が見えない歴史になった。・・・生命性の歴史は、何かに仮託されることによってつかみとられていたのである。―

「近代化」が何をもたらしたのか。豊かさとは何か。
私は日々、物質的には豊に暮らしている。しかし、時々居心地の悪さを感じる。読み終えたあとも答えはつかめないでいる。緑の革命、拡大造林、燃料革命により、自然は遠くなってしまった。自然の声が聞こえなくなってしまった。


この本の中の「オオサキ」と「山上がり」の話はとてもおもしろい。現代版「山上がり」の制度があれば、誰もが安心してゆったりと暮らせるのになぁ・・・

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